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NHKスペシャル『大アマゾン第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々』

ドキュメンタリー界隈で話題沸騰の『大アマゾン』。特に第四集は見応えありとの噂。

 

アマゾンでは、文明と接触したことのない先住民をイゾラド、その中でも姿を現したイゾラドを「凶暴で野蛮な人間」という意のマシュコピーロと呼ぶそうだ。イゾラド、武器が弓矢ってのも衝撃だが、実際に矢に射られた人の生々しい傷跡が出てくるのはもっと衝撃。文化が違い過ぎて「色々すげえ~……」という感想しか出てこない。海外旅行に行ったとき、いくら言葉が通じなくても、なんとなくのジェスチャーで言いたいことが伝わることも多いと思う。でも、イゾラドにそれは通用しない。なんとなく文明間で共有されているジェスチャーすらも通じない。村の人が「兄弟よ、弓矢を下ろしてくれ。刺さると痛いんだ」と何度言っても全く通じず、川向こうからゆっくり近づいてくる文明のない先住民なんて、映像で見てても恐怖でしかない。

何度かそういった遭遇を果たすうちに、若干だけど言葉が通じることがわかってくる。バナナをあげたり、交流も出来るようになる。でも、それは束の間の平和で、村はすぐイゾラドの襲撃を受けてしまう。他の村では、弓矢に射られた青年が死亡した。ペルー政府は、イゾラドと「交流」を続け、文明の枠組みに取り込む事を決定する。

その「交流」の場面で、一人だけ同行取材を許されたおじちゃんカメラマンが、「ノモレ(友達)」という言葉だけを覚えて突撃するものの、イゾラドに囲まれて、あまりの言葉の通じなさにもはや日本語で喋りだす場面、面白かったな。なんていうか、ディスコミュニケーションの極致みたいな場面では、自分の持っている言葉・文化でゴリ押すしかないんだな、って。そりゃあお互いの文化を分かり合って言葉も通じたら一番良いけどね。これはどっちが悪いとかではなく、全く違う文化の中で育っている人と人が交流することの難しさ。友好の意を伝える事すらままならない。

 

かつてイゾラドはアマゾンの多くの森に生息していた。それが森の伐採・幹線道路の普及により、住める森がほぼ無くなっている。また、過去の不用意な文明側の接触により蔓延した感染症の影響で、もうどんなに多く見積もっても500人しかいないそうだ。あと少しでイゾラドが消滅してしまうという専門家もいるらしい。「文明側の人間をどう思っているのか」という質問に、イゾラドは「あなたたちは、怖い」と答えた。イゾラドと、彼らが元々いた場所を追い「文明」の枠組みに組み込もうとする文明側の人々、どちらが「凶暴で野蛮な人間」なのか。弓矢を持って近づいてくる彼らの映像を見て、「怖い」と思ってしまった文明側の自分を恥じた。

 

 

【あらすじ】

第4集は、文明社会と接触したことがない“原初の人々”を追う。

アマゾン源流域、ブラジルとペルーの国境地帯にいるという彼らは、部族名も言語も人数もわからない。「隔絶された人々」という意味の『イゾラド』と呼ばれる謎の先住民族である。いま、そのイゾラドの目撃情報が相次いでいる。森に猟に入った若者が弓矢で腹を射抜かれた。川辺で遊んでいた少女の足元に数本の矢が飛んできた。イゾラドの集団にとり囲まれた村からSOSが発信された…。

なぜ彼らは、文明社会の領域に、突如姿を現すようになったのか。取材班は、ペルー政府との交渉の末、イゾラドを監視する複数の最前線基地に、テレビ局として初めて滞在。森の彼方から聞こえてくる、「知られざる、しかし私たちと同じ人間の声」に耳を澄ました。

https://www.nhk.or.jp/special/amazoncseries4/about/